幸せに働こう!
わたしたちには、公共の福祉に反しないかぎり幸福を追求する権利がある。
もし、働くことが不幸であるならば、幸福を追求するためには公共の福祉に反しないやり方で働かない生活を追求することになるだろう。
そのような追求もそれはそれで面白そうではあるが、やはり多くの人が働かなければ生活が成り立たないこと、
わたしたちが働かなければ社会を運営できないことを考え合わせれば、わたしたちは幸せに働くことを選択すべきである。
加えて、わたしたちが幸せに働くことは、たくさんの良いことをもたらす。
のびのびと子どもが育つ
疲れ果ててイライラしながら帰ってくるお母さんよりも、疲れてはいても充実感を感じてやりきった顔で帰ってくるお母さんがいる家庭のほうが、子どもはのびのび育つ。
上司のパワハラから逃避するために毎晩酔いつぶれて帰ってくるお父さんよりも、疲れてはいても充実感を感じてご機嫌でお土産を買って帰ってくる酔っ払いのお父さんがいる家庭のほうが、お母さんは幸せだ。
お母さんが幸せなら、子どもはのびのび育つ。
のびのびと育った子どもは、自分の能力をめいっぱい育て、きっと将来わたしたちの社会をより良くしてくれるだろう。
作家サイモン・シネック氏は著書「リーダーは最後に食べなさい」のなかで次のように言っている。
ボストンカレッジ大学院のソーシャルワーク学科の研究者によると、「自分は幸福に暮らしている」という子供の安心感は、親の勤務時間の長さではなく、親が帰宅したときの機嫌のよさで変わってくるそうだ。
子供は、勤務時間は短いが帰宅した後不機嫌になる親よりも、夜遅くまで働いているもののその仕事を愛している親と一緒に過ごす方が安心していられる。
この結果からも、私たちの仕事が家族に影響を及ぼしていることが分かる。
遅くまで仕事をするからと言って、子供に悪影響が及ぶわけではなく、親が職場を好きかどうかが問題となる。
残業や出張が多いと、親は罪の意識を覚えるかもしれないし、子供は寂しい思いをするかもしれないが、それ自体が問題ではない。
極論を言えば、あなたが自分の仕事を好きでないのなら、子供のために、帰宅すべきではない。
仕事の生産性が上がる
働くことが幸せな人は、毎日仕事に行くことが楽しみだ。
チームの目標達成のために努力することにもやり甲斐を感じ、進んで勉強し、勝手に成長するだろう。
仲間との助け合いにも喜びを感じ、困っている仲間がいればすぐに手を差し伸べる。
働くことが幸せな人はどんどん成長し、どんどん協力し、結果として、働くことが幸せな人が集まったチームの生産性はどんどん上がる。
生産性の高いチームは、目標を次々と実現していくだろう。
チームが社会にとって好ましいビジョンを掲げていれば、社会はより良くなっていく。
働くことが不幸なことなのであれば、誰しも働きたいとは思わない。
働くことが不幸な人は、イヤイヤ会社に行って、イヤイヤ仕事をすることになる。
できるだけサボろうとするし、成長にも目標達成にも興味はない。
働けば働くほど不幸になるのだから、そこにエネルギーを注ぎ込むことにまったく意味を感じられない。
仲間の役に立ちたいとも思わないだろう。
一生懸命働く人がいたら、疑問に思うはずだ。なぜ、進んで不幸になるのかと。
もし、会社の社員がみんなそんな人だったなら、生産性は著しく下がり、その会社はそう遠くない未来に潰れるに違いない。
街が平和になる
都市部で一番電車を使っているのは、おそらくサラリーマン(働く人)だ。
地方で一番車を運転しているのも、おそらくサラリーマンだ。
働くことが幸せなサラリーマンは、いつもご機嫌だ。
電車の中でも思いやりを忘れず、なにか起これば助け合うだろう。
車の運転でもゆずり合い、助け合うだろう。
思いやりとゆずりあいで街は平和になる。
働くことが不幸なサラリーマンは、いつも不機嫌だ。
実際、東京で電車に乗ると不機嫌なサラリーマンであふれかえっている。
不機嫌な人に囲まれていると、わたしたちは危険を感じて緊張する。
とても平和など感じられない。
わたしたちが幸せに働くことが社会に及ぼす良い影響は、ほかにもあらゆるところに及ぶ。
なぜなら、わたしたちは生活の中で最も多くの時間を働くことに費やしているからだ。